― “感情”と“遺言”のすれ違い
■ 想定事例
Oさん(82歳)は、認知症と診断されてから5年間、自宅での介護を希望して暮らしていました。
介護の中心を担ったのは、長男Qさんの妻・Pさん。共働きであるQさんに代わり、毎日の食事、入浴、通院の付き添いまで、Pさんが一手に引き受けてきました。
Oさんは認知症を発症する数年前、公正証書遺言を作成しており、その内容は「すべての財産を長男Qに相続させる」というもの。
「長男が家を継ぎ、すべて任せるつもりだった」という意図が込められていました。
しかし、Oさんが亡くなり、遺言の内容が開示されると、Pさんは深く傷つきました。
「5年間、必死で介護したのに、私は“ありがとう”の一言ももらえないの?」
「相続人じゃないからって、無視されて当然なの?」
一方、Qさんは「父の気持ちは尊重すべきだ」と言うばかりで、夫婦間にも溝が生まれていきました。
■ どこに問題があったのか
この遺言には法律的な問題はありません。
公正証書であり、Oさんの意思に基づいて正当に作成されています。
しかし、見落とされていたのは「介護を担った人の存在」でした。
- Pさんは法定相続人ではないため、遺言に名前がないのは形式上は当然
- けれども、5年間の介護という「貢献」に対して、何の感謝や配慮もなかったことが感情的な亀裂を生んだ
- 法的には万全でも、“心情的には納得できない”という典型例
「遺言があるから安心」と思っていた家族の中で、思わぬすれ違いが生まれてしまいました。
■ 回避するためにできたこと
このようなトラブルを防ぐためには、以下の工夫が有効です。
1. 介護者への配慮を形にする
- たとえ法定相続人でなくても、介護者に金銭や形見の一部を遺贈する
- 生前に謝礼として贈与することも検討できる
2. 「付言事項」で感謝を伝える
- 遺言の本文とは別に、介護への感謝や想いを文章で残す
- 財産を渡さなくても、「ありがとう」の言葉だけで救われることがある
3. 専門家に相談して構成を整える
- 家族関係の背景や介護状況を伝えたうえで、バランスの取れた遺言内容を検討できる
■ 結びに
公正証書遺言は、法的に強い効力を持ち、意思を確実に形にできる重要な制度です。
しかし、「法的に正しい」ことと「人の気持ちが納得する」ことは、必ずしも一致しません。
介護や看取りといった場面では、お金だけではない“関係性の感謝”が大きな意味を持つことがあります。
遺言は、ただの分配指示書ではありません。
**「心をつなぐ最後のメッセージ」**にもなる――その視点を忘れずに、公正証書遺言を活用していきましょう。

